養子を追い出すにも妻を追い出すにも去状を出さなければならない

江戸時代の養子は妻の女性と同様に扱われ、法律もそのようだった

その問題をよろずふみ元禄の大阪町人作家・西鶴が、1696年に遺稿として出版された書簡体短編小説集『万の文ほうく反古』(様々な古手紙)巻二の「京にも思ふやうなる事なし」の一編で、ものの見事に描いて見せている。手紙の差出人は仙台の中流町人の婿養子の九平次。「小糠三合あれば入婿すな」という江戸以来の諺があるように、養子の扱いは妻なみであった。

去状を書くと入婿おん出され(古川柳)養子をおん出すにしても去状を取っておかないと再婚できないから、講麗のように手どり足どり書かされた上でおん出されるのが養子の運命であった。ところが仙台の九平次の場合は家付女房がぞっこんで、あんまり焼餅をやくので、九平次はその顔を見るのもいやになり、駆落して京都で小さな商いをはじめた。ところがやむをえなかったとはいえ、再婚のパスポートである離縁状を残してこなかったので、三度も三くだり半を仙台に送ったのだが、九平次にぞっこんの女房はそれから18年もたつのに、あの人はいつかきっと帰って来ると信じていると見ききめえて、一向に再婚する気配がない。

そこで九平次は形式的な三くだり半では利目がないと悟って、自分がいかに待つに価しないやくざで薄情な男であるかを、実例を列挙して証明した最後の絶縁状である。これほどかなしき身に罷成り候へども、そこもとの女にみぢんも心残らず候は、よくくの悪縁に候。このむごき心底を御物語りあそばし、はやく縁付いたし候やうに頼み申候。もがみやと結んだ手紙の宛名は、女房の親最上屋市右衛門である。まことさてその実例であるが、嘘か真言か17年のうちに23人も女房を持ち替えたと言い、その中の特にひどい五人の女房のあばずれ振りを紹介している。
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また一般の公卿たちは正妻の「北の方」のほかに古代からの招婿婚で、関白クラスで十人前後の通い妻を持っていた。しかし彼女たちは経済的にも精神的にも自立していて、所有されているという観念がなく、愛の切れ目が縁の切れ目という、多角的な恋愛関係にあった。

だから権力と金力で囲われて一方的に愛されるという「めかけ」の観念などあろうはずはなかった。鎌倉時代の武家社会では公家の風を受けついで、正妻・側室ともに恋愛的であったが、家族制度が強化されて嫁取婚が一般化し、政略結婚が横行した室町時代になると、権柄ずくな正妻のほかに、慰み物としての愛妾を囲うようになった。室町後期には狂言その他の文献に、「手かけ」または「手かけ者」という言葉が登場している。

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